おめでたですよ!といわれた瞬間から、なんだかソワソワして落ち着かない…
なんてことはありませんか?
出産経験者が周りにいなくて相談できる人がいない…。
赤ちゃんの育て方がよく分からなくて、とても心配…。
そんなママさんのちょっとした悩みや不安に、
プロの立場からアドバイスさせていただきます。
ママスハウスはお母さんと赤ちゃんのための、何でも相談室です。
どうぞお気軽にご相談ください。
院長プロフィール
院長 助産師 高橋なぎさ
ママスハウスの代表助産師の高橋なぎさです。
横浜市都筑区在住の主婦であり、妻であり、男の子二人の母であり、義母の介護をしつつ、実母の健康面も心配しつつ、それでも自分の時間に自分のできることを提供して、ママと赤ちゃんが笑顔になれるよう、社会貢献したいと活動しています。
開業して28年目。
横浜市助産師会会長、神奈川県助産師会副会長を歴任し、母子保健奨励賞など数々の表彰を受け、東宮御所での天皇陛下(当時皇太子殿下)からの接見を賜りました。
現在の患者数9500名(開業前は20000名越え)
横浜市都筑区在住の主婦であり、妻であり、男の子二人の母であり、義母の介護をしつつ、実母の健康面も心配しつつ、それでも自分の時間に自分のできることを提供して、ママと赤ちゃんが笑顔になれるよう、社会貢献したいと活動しています。
開業して28年目。
横浜市助産師会会長、神奈川県助産師会副会長を歴任し、母子保健奨励賞など数々の表彰を受け、東宮御所での天皇陛下(当時皇太子殿下)からの接見を賜りました。
現在の患者数9500名(開業前は20000名越え)
- 【プロフィール】
- ・1962年神戸生まれ。幼少期は父の転勤で、神戸→芦屋→西宮→神戸と小学校は4回転校している。一人っ子。お人形遊びが好きな子どもでした。
- ・中学、高校とも地元の普通の学校で、特に目立つこともなく、どちらかというと地味に過ごす。
- ・高校に進学相談で来校した兵庫県立総合衛生学院の教務主任が「助産婦(当時はそう呼ばれていた)は一生できる仕事、そして開業もできる」と言っていたのが印象に残り、受験する。
- ・看護婦の免許を取得してから、助産学科へ進学。
- ・助産学科では泊まり込みでの実習や連日のレポート書きでクタクタになりながらも、実習でお産を介助させていただいた感動が忘れられず、今もその方々とは連絡を取っています。
経 歴
1986年
助産師免許取得後は神戸大学付属病院母子センターで産科およびNICUに勤務し、ハイリスク母児への救命および早期支援活動に従事。
1992年
1996年
2005年
2016年
2021年
小さな赤ちゃんたちは体中にたくさんのチューブをつけて一生懸命生きようと努力をしていました。
しばらくして、生命の危機を脱したころ、はじめて胃内に注入されるもの…
それはその日のために母親が大切に搾った母乳でした。
わたしたちはそれをMX(エムエックス)とよび、 一滴も無駄にせず大切に取り扱うことを先輩から教えられました。
当時の私は助産師としても新米で人生経験も浅く、どんな思いで母親が
一滴一滴搾り続けていたのかを知ることもなく、ただ感じていたのは
MXを注入した赤ちゃんたちの方がミルクの赤ちゃんたちよりも回復がよかったということでした。
今は元気な赤ちゃんに接することが多いのですが、やっぱり母乳にこだわってしまうのは、そんな母子の姿が心に焼き付いているからなのかもしれません。
絶対母乳主義ではないけれど、「あなたがおっぱいで育てたいと思うなら、あきらめなくてもいいように」「おっぱいを与えることで、赤ちゃんだけでなくあなたとその周りの人たちも幸せを感じることができるように」「おっぱいで育てることであなたの子育ての自信につながり、強くしなやかに生きるひとりの女性としても価値のある存在であると思うことができるように」
私は、心より応援します。
助産師 高橋 なぎさ
スタッフ紹介
- 助産師 下村義子
- 3児の母
他の助産院でも勤務しており、自然なお産や赤ちゃんの誕生を介助しています。
お母さま方に寄り添う気持ちを大切に、子育てが楽しくできるように応援します。
- 助産師 小泉
- 2児の母
- 助産師 依田
- 3児の母
- 理学療法士 小関
- 2児の母
基本方針
- 理 念
- 私たちは、ケアを受ける方々のお気持ちを尊重し、質の高いサービスを提供するとともに、ケアを受ける方々の信頼に応え、地域社会に貢献することをめざします。
- 目 標
1.個別性・人間性を尊重したケアの実践
2.安全管理体制の充実
3.自己目標を明確にした自己研鑽
活動履歴
1996年~
2001年~
2002年~
2003年~
2005年~
2011年~